農業へのきっかけ

農業を始めるきっかけとなったターニングポイントが3つある。これは農業というより独立を志すきっかけとなった出来事だ。

第1のポインとは小学校の転校だ。親父の転勤で神奈川県から山口県に転校することになったが最初に感じたのが教育格差だ。神奈川県では考える授業が多かったのに対し山口県では暗記の授業しかなかった。方言もあれば習慣も違うので教育の差は仕方ないと思う。ただ、日本にいれば皆平等だと勘違いして教育の差があることに全員気付けない環境が怖かった。このままでは日本がダメになってしまうと思うようになった。転校する前まではエジソンが好きだったので研究者になりたかったが教育の差を感じた時から、心の中にレールから外れて独立することになるだろうという思いが芽生え始めた。

第2のポイントは中学の時だ。親父が心筋梗塞で手術することになった。その後病気が原因で会社をリストラされあちこちの会社を渡り歩くことになる。まだ、リストラという言葉が世の中に広まる前だったのでとてもいい勉強になる出来事だった。法整備が追いついてないこと、世論が動くと後追いで法律が整備されていくこと、セーフティーネットから外れるとどうしようもなくなることなど様々な経験をすることができた。

第3のポイントは親父が精神を壊して入院することになったことだ。その前から感じていたが来る時が来たかという感じで内心ホットした。このことによってまた違う経験ができた。違う世界がこの世にあることを実感できたのだ。今でこそ「あー今日うつだは~」とか平気で言える環境があるがその当時はまだまだ認知されていなかった。悶々とする日々が続いた。その時「ブラックジャックによろしく」にはとても感動し救われた。世の中とは違う世界がありそれを皆に広めようとする物語がとても心に響いた。自分の中にあるモヤモヤをとても繊細に表現してくれていた。佐藤秀峰先生には人生を救ってもらったといっても過言ではない。とても感謝している。

親父が入院している間、将来ライバルになる同世代の偵察がてら東京の大学に進学、親父が社会復帰を目指して農業を始める運びとなりそれに乗っかって一緒に始めることになる。なので、農業を始めるきっかけは無く独立すると決めて、たまたま農業をすることになったという感じだ。たまたま運がよく独立するする環境が自分にあっただけにすきがない。

このような経緯で農業を始めているので始めるにあたり自分の中にルールを決めている。それは「絶対に人を見捨てない」ということだ。まだまだ未熟で達成できない目標だが農業ベンチャー企業YONESATAではどんな人も成長し活躍できる場を提供できるにしていきたい。

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